『三字経』 第16単元 文質彬彬にして君子なり

第16単元 文質彬彬然後君子(文質彬彬にして君子なり)

作中庸  子思笔

中庸を筆するは子思(しし)

中不偏  庸不易

中は偏らず 庸は易(か)わらず

作大学  乃曾子

大学を作るは乃(すなわ)ち曾子(そうし)

自修齐  至平治

修斉より平治に至る

《解釈》

『中庸』を作ったのは、子思。その説くところは中正でかたよることがなく、永に変わることがない。『大学』を作ったのは曾子。身を修め、家をととのえることから、天下を平定し国家を治めるに至る条目を説いている。

 

《注釈》

子思

…中国、春秋時代の学者。魯(ろ)(山東省)の人。孔子の孫。名は伋(きゅう)。子思は字(あざな)。曽子(そうし)に師事し、孟子に影響を与えた。「中庸」の著者と伝えられる。(デジタル大辞泉より)

中庸

…中国の哲学書。一巻。孔子の孫の子思の作と伝えられる。元来「礼記」の中の一編であるが,南宋の朱熹(しゆき)が取り出して四書の一つに加え,「中庸章句」という注釈書を作った。天と人間を結ぶ深奥な原理を説いたものとして,特に宋以後重視された。(大辞林 第三版より)

大学

…中国,儒教の経典(けいてん)の一。一巻。もと「礼記」の中の一編であるが,宋代に四書の一つとされて重視された。身を修めることから天下を治めることに至る治世の根本原則を述べる。(大辞林 第三版より)

魯昭公

…昭公(しょうこう、生年不詳 – 紀元前510年)は、魯の第25代君主。名は稠。襄公の子。紀元前542年、異母兄の姫野が死去すると、即位した。紀元前517年、昭公は季孫氏を討って大敗した。昭公は斉に逃れ、後に晋に移ったが、魯に帰ることはなかった。紀元前510年、昭公は晋の乾侯の地で死去した。(Wikipediaより)

幵官氏

…幵官(けんかん)氏、または亓官(きかん)氏、または并官(へいかん)氏は、孔子の妻で、孔鯉(伯魚)の母。孔子および孔鯉に先だって没した。(Wikipediaより)

伯魚

…孔鯉(こう り、紀元前532年 – 紀元前483年)は、春秋時代の儒者。字の伯魚でも知られる。孔子の長男で、孔子に先だって死亡した。子に孔伋(子思)がある。(Wikipediaより)

宥坐之器=欹器

…自らの戒めとするために身近に置いてある道具のこと。「宥坐」は身近や身の回りという意味。桓公の墓にあった器は「水が入っていない空の時は傾き、水を適度に入れるとまっすぐに立ち、水が満ちるとひっくり返り全てこぼれる」という。これを見た孔子は「知を持つものは愚を自覚し、功績を持つものは謙譲の心をもち、力を持つものは恐れを忘れず、富があるものは謙遜を忘れずに正しい姿勢を保て。」と説いた故事から。(四字熟語辞典 オンラインより)

 
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