ブログ:震災7年、「巨大防潮堤」に隔てられた生活

[陸前高田(岩手県) 9日 ロイター] – 2011年3月11日に東日本大震災が起きた時、かき漁師の藤田敦さんはいつものように海辺で働いていた。まもなくして、藤田さんの暮らす町に巨大な黒い波が押し寄せ、約2000人が命を落とした。

あれから7年──。東北の沿岸部に暮らす藤田さんら大勢の人々は、巨大な防潮堤の内側で生活を立て直している。もし再び巨大津波が起きた場合、この防潮堤が守ってくれる、と専門家は言う。日本のような地震活動が活発な国では、津波は不可避だとする向きもある。

12.5メートルの高さでそびえ立つコンクリートの壁が、東日本大震災による津波にのみ込まれた4メートルの防波堤に取って代わった。マグニチュード9.0という未曾有の地震と、一部で高さ30メートルを記録した巨大津波は、約1万8000人の命を奪い、福島第一原発事故を引き起こした。

「塀の中で働いているような感じ。悪いことしたわけじゃないが、牢屋にいる感じ」と52歳の藤田さんは言う。

震災後、一部の自治体では海岸付近の平地における建設を禁止し、住民を高地へと移動させた。あるいは岩手県陸前高田市のように、新たな建物を建設する前に土地を数メートルかさ上げした。

だが共通の課題は、津波にのみ込まれた防波堤の代わりとなる防潮堤の建設だ。約395キロに及ぶ壁の建設には約1.35兆円の費用が投じられた。

「防潮堤は津波を食い止め、陸地が浸水しないようにする効果がある」と、国立研究開発法人「海上・港湾・航空技術研究所 港湾空港技術研究所」の河合弘泰氏は語る。

「非常に大きな津波が防潮堤を超えた場合でも、防潮堤がない場合に比べて、浸水が始まる時刻を遅らせ、避難するための時間を稼ぐことができる」

当初、防潮堤建設という考えを多くの住民は歓迎したが、時間の経過とともに批判的な見方も出てきた。計画段階で十分な助言を求めなかったことを指摘する意見や、防潮堤建設に費用が充てられることで、住宅など他の再建が遅れることを懸念する声も聞かれる。

また、防潮堤によって観光業が悪影響を受けると心配する人もいる。

「50年ほど前、小さな子どもを連れてここへ来たときには、奇麗な海と入り江とドライブを楽しんだ」と、飯島玲子さんは防潮堤の向かいにあるかき小屋でこのように語った。

「でも今は、その面影もなくて」

宮城県気仙沼市の防潮堤の一部には「窓」がある。だがこれにも苦情が出ている。

「パロディーだ」と伊藤雄一郎さんは言う。伊藤さんは自宅と弟を津波で失った。「誰も望んでいないものを造った中で、慰め程度にこんな窓を造った」

かき漁師の藤田さんは、津波が海底をかき回し、堆積していた汚泥が除去されたことで、この地域のかき養殖は改善した一方で、防潮堤が陸地からの自然な水流を妨げ、将来のかき漁に影響を及ぼす可能性があると懸念する。

自治体の多くが、建物の再建について、まずは巨大防潮堤が建設されてから許可されると語った。

「この防潮堤ができることで建築許可が下り、また同じ場所で再建できた。この防潮堤を低くしてとか、いらないとか、そんなことは絶対言わないし、この防潮堤のおかげで今、現在仕事ができている」と、震災前と同じ場所で民宿を営む畠山勝弘さんは言う。

しかし、多くの人が防潮堤になじめないでいる。

「海とともにみんな生きてきた。ずっと代々。この防潮堤ができることによって、その海と決別するような生活をこれからしていくというのは、われわれはどうしても耐えられない」と、マグロ卸売業を営む 臼井壮太郎さんは語った。

(写真:Kim Kyung-hoon 文責:Megumi Lim)

 
関連記事