香港から脱出した5人家族 「逃げられるなら一刻も早く逃げろ」 

今年4月上旬に香港人一家合計5人がメキシコに国外逃亡しました。香港を愛しているという彼らにとって、今回の逃亡は本意ではありませんでした。4月15日、米国とメキシコの国境の収容施設から出たばかりの李さんとその長男が取材に応じました。

暗闇に閃光が走り、警察の発砲するゴム弾の音とともに、学生やジャーナリスト、医療スタッフら全員が逮捕されました。天安門事件を彷彿とさせるこの事件は、2019年に香港理工大学で発生しました。

当時デモ隊は警察と対峙し、16日間にわたり攻防が続きましたが、最終的にデモ隊の1377人の成人が拘束されました。その中に、李さんとその長男の艾倫(アレン)さんもいました。

米国に逃れた香港市民 李さん
「私は五人家族で、2019年の6月9日から国安法が施行されるまで、デモに家族全員で参加していた。私たちは反送中運動のすべてに参加した。19年の11月ごろに私たちは理工大学で逮捕された。私と息子は一緒に捕まった」

その後、李さんと長男は保釈されましたが、反送中運動が始まってから香港の自由と自治権は圧迫される一方でした。2020年に中共は「香港国安法」を施行し、いわゆる「国家の分裂、国家政権の転覆、テロ活動及び外国又は国外勢力との共謀」という四つの罪が含まれ、最高で終身刑が言い渡される可能性が生じました。2021年に入るとさらに多くの民主活動家が逮捕されるようになりました。

李さん
「あの国安法がまた適用された。以前に捕まったことのある人がもう一度捕まった。私が知っている多くの戦友が捕まって連れていかれた。だから私たちは恐ろしく思っていた」

今年4月上旬に李さん一家はメキシコに国外逃亡しました。4月10日の早朝、李さんと長男は米国に不法入国してから出頭し保護を求めました。その後4月15日に収容施設から出たばかりの彼らは、米国にたどり着いたとはいえ、どうすればいいか分からないと語っています。

李さん
「国外逃亡すると決断するまで迷っていたのは確かだ。本当に香港を離れたくなかったからだ。なのでずっとこの問題から逃げたい、逃げたいと思っていた。香港が大好きだからだ。家族全員が香港を愛している。だが香港を離れないわけにはいかなかった。もし香港に居続けたら、私と息子は10年の懲役が科せられるかもしれなかった」

実は、李さんは生粋の香港人ではありません。

李さん
「私は大陸で教育を受けた。広州で学び、広州で育った。私が学んだことはすべて共産党がどんなにすばらしいか、共産党がどうやって我々を育ててくれたかというものだった。実際私の父も共産党員だったので、父は毎日私を怒鳴りつけ、なぜ彼ら(共産党)に逆らうのか、お前は共産党に養ってもらったんだぞと私を問い詰めた。だが、国内で生活していると外の世界がどんな風だか分からないのだ」

2009年に広州から香港に転居した李さんは、街で反共産党の宣伝ビラを見て心から驚きました。李さんの妻は李さんに、理由を本当に知りたいなら図書館に行って自分で探せばいいと言いました。

李さん
「だから私は図書館に行って歴史書をたくさん読んだ。読み終えると、自分が学んできたことと現実は全く別のものだったということが本当に理解できた。私は以前、8年間の抗日戦争に勝利したのは共産党だとばかり思っていた。私の息子はそれを聞いて笑った。中国国内で暮らしていた私たちが触れることのできた書籍にせよ教育にせよ、同じことが言われていたからだ。つまり『共産党は素晴らしい』だ。しかし私は歴史書や資料を読んでようやく理解した。私がこれまでに学んできたことはすべて真逆だったということを」

香港と中国があまりに対称的だったため、李さんは香港の自由な環境をより大切にするようになり、自分の子どもには自分の子ども時代のように、中共の教育によって洗脳されるようなことになってほしくないと思っていました。だからこそ、香港政府が推進する「国民教育」に反対の声を挙げ、香港社会の問題に注目し始めました。

李さん
「今香港に対し言えることはただ一言、『逃げられるなら一刻も早く逃げろ』だ。8月1日からは逃げたくても逃げられなくなる。この日から政府は入国管理局に対し、市民の出国を自由に管理できる権限を与えるとする新たな法律が施行されるからだ」

李さんは共産党員ではありませんが、子供のころに少年先鋒隊に入っていたことがありました。昨年から米国政府は中共党員の入国と移住に対し厳格な制限を設けているため、このことが庇護申請にどう影響するか現在のところはまだ分かっていません。しかし李さんは、自分はかならず中共組織からの脱退を宣言すると述べています。

 
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