【明代中国】『十両の銀貨』が運命を変えた話

明王朝時代にダ・ユアンという名前の若い男性がいました。ユアンはとても貧乏で、数日間何も口にできない時もある程でした。しかし彼は読書好きで、三年に一度実施される官僚登用試験の科挙に向けて熱心に勉強していました。都まで行く旅費は払えそうにありませんでしたが、それでもコツコツと勉強を続けていたのです。

ユアンには、同様に科挙の受験勉強に勤しんでいるワン・シェンという良き友人がいました。お金持ちの家に育ち、親切で気前の良いシェンは、ユアンに費用は彼が持つから、一緒にに都まで旅をしようと持ちかけました。

明代に科挙の結果が掲示してある壁の周囲に集まる受験生たち・1540年頃(パブリックドメイン)

二人が都の江寧(こうねい・南京の旧称)に着くと、人々の運命を的確に予言する占い師が居ると聞き、ユアンは他の六人の学生と共にこの占い師を訪ねました。占い師は他の六人の人生を事細かに説明しましたが、それは大変正確なものでした。

ユアンの番が回って来た時、占い師はいくつかの質問をすると、指を折りながら何かを数えました。そしてユアンに、直ぐに家に戻るようにと告げたのです。そして唖然としている一行にこう付け加えました。「さもなくばあなたは5日以内に事故に遭い、命を落とすでしょう」

シェンと他の学生たちはユアンの運命を変える事はできないのかと占い師に聞きましたが、占い師は「生と死は重要な問題です。もし誰かのが使い尽くされたら、誰も助けることはできません。あと数日というような短い時間で、私にできる事はないのです」と言いました。一行はすっかり落胆し、失意のまま宿に戻るしかありませんでした。

他の学生たちに気を遣わせないよう、ユアンは家に戻ることを決意しました。シェンは別れを惜しみながらもユアンの帰り道の船代を払い、必要になった時のためにと10両の銀貨を渡しました。ユアンは皆に別れを告げると船に乗り、帰途につきました。ところが、ユアンの乗った船は長江を16キロメートルほど行った所で強風のために止まってしまいます。船人は船を停泊し、三日間その場で風の止むのを待っていましたが、風はますます強くなるばかりでした。

ユアンは自分の運命が尽きる日まであと一日しか残っていないのに、どうして船は動けずにいるのだろうと考えると、あの占い師の言った通り、自分は家に戻る前に死ぬ運命なのだろうと思わずにはいられませんでした。

ユアンは運命を受け入れる覚悟を決め、心を無にしてその時を待っていました。陸地に上がってさまよっていると、突然、三人の子供を連れて泣きながら歩いている妊婦に出くわしました。人里離れたこんな場所でどこに行こうとしているのだろうかと訝しんだユアンは妊婦に駆け寄り、何か助けが必要かと聞きました。妊婦は、二頭の豚を銀貨10両で売ったのに、10両の銅貨しか渡してもらえなかったと言い、家に戻って殴られるのを恐れるあまり、子供たちを道連れに川に飛び込むつもりだと打ち明けました。

妊婦の話を聞いてすっかり同情したユアンは、どのみち直ぐ死ぬ運命の自分に銀貨は不要だと思い、こっそり妊婦の銅貨と自分の銀貨をすり替えると、妊婦にこう言いました。「なんてこった!あなたは大きな過ちを犯すところでしたよ!これは本物の銀貨です。どうして銅貨だと思ったんですか?」

妊婦は怒ったように「私はいくつかの店で聞いてみましたが、これは銅貨だと皆に言われました。それが今更、銀貨になる訳がないでしょう」と言い返しました。

「商人たちは、あなたが女性だと見くびって騙そうとしたんですよ。私に着いて来て、もう一度聞いてごらんなさい。もう騙そうとはしないはずです」ユアンはそう言って、妊婦を近くの銀を扱う店に連れて行きました。銀商人は妊婦に、これは間違いなく銀貨だと告げました。二人はいくつかの商店を回りましたが、どの店でも答えは同じでした。妊婦は喜びを隠しきれない様子で、子供たちを連れて満面の笑顔で家に帰りました。

明王朝時代の試験用紙(CC BY-SA 4.0)

妊婦と子供たちを助けた後、辺りは暗くなり始め、ユアンは寂れた寺院の軒下で夜を過ごさねばなりませんでした。この日に起こった数々の出来事によってすっかり疲れ果てていた彼は、腰を据えるなり眠り込んでしまいました。遠くで誰かが彼の名を呼んでいるのが聞こえ、頭を上げると、煌々と灯りのついた大広間が見えました。両端に見張りのついた玉座に、王様のように威厳のある人物が座っています。その人は、関帝という名で知られている神様のようです。すると突然、関帝はこう命じました。「今日、川岸で5人の命を助けた者がいる。その者を探してまいれ。褒美として幸運を遣わそう」

一人の士官がユアンについて子細に報告しました。関帝が、その者は今年の科挙に合格したのかと聞くと、士官はこう答えました。「ユアンは持って生まれた運が尽き、もう長くはありません。今宵、真夜中に寺院の壁が崩れ、彼はその下敷きになって命を落とすでしょう」

「もしそのような事が起こったら、我々はどの口で人々に他人に良い事をするようにと言えようか?記録を書き変えて、ユアンを科挙の首席合格者とさせようではないか」関帝はこう言いました。

もう一人の士官が、「シェンが銀貨をユアンに与えなければ、ユアンは徳を積むことができませんでした。シェンにも褒美を与えるべきでしょう」と付け加えると、関帝はこの士官の申し出を即座に承認しました。

ユアンが一心に耳を傾けていると、突然誰かが「出て来い!出て来い」と叫びました。驚いて目を覚ましたユアンは、自分が寺院の軒下にうずくまって寝ていた事に気付きました。暗がりの中で壁が崩れる音が聞こえ、飛び起きて逃げ出すと、すぐ後ろで壁が崩れ落ち、先ほどまで自分が眠っていた場所を埋め尽くしていました。

夜が明けるとユアンは関帝の像に祈りを捧げに行き、それから船に戻りました。夢の中で聞いた会話をはっきりと覚えていた彼は、どうあっても都に戻り、科挙の試験を受けるつもりでした。宿に戻ったユアンを見た学生たちはユアンがまだ生きている事に驚き、夕食を作ってユアンの帰還を祝いました。シェンは「不幸な死から逃れたのだから、きっとこれからは幸運が訪れるよ」と嬉しそうに言いました。

翌日、好奇心に駆られた学生たちは、皆で占い師に会いに行きました。占い師はユアンを見るなり、「あなたはまだ生きていたのか」と大そう驚くと同時に、最後に会ってからほんの数日間の間にユアンの骨格が変わっているのに気付くと、人の命を救うといった、とてつもない徳を積んだに違いないと考えました。そして、ユアンは科挙に首席で合格し、翌年の国立学士院の役人への出世を皮切りに、やがて最高位の役人となり、80才まで長生きするだろうと予言しました。そしてシェンにも、必ずや試験に合格すると告げました。「私もですか?別に徳を積んだ訳でもないのに」と戸惑うシェンに、占い師はこう言いました。「あなたは私利私欲なく良い行いをしました。それこそが徳というものなのです」

宿に戻ると、ユアンは自分に起こった事の全てをシェンに話し、もしシェンが銀貨をくれなければ、あの家族の命を救うことはできなかったと言いました。そして、シェンは自身の寛大な行為により神のご加護を得られたのだと告げました。

シェンは驚いて、「いやいや、これはひとえにお前の優しい心によるものだ。私はお前に感謝しなくてはね」と答えました。この慎み深い二人の心は金のように輝き、穢れ無く神聖な水仙の花を思わせました。

科挙の試験が終わると、予言された通りユアンは首席を取り、シェンも無事に合格しました。そして翌年、二人とも国立学士院の役人に出世したのでした。

 

 

 
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