神韻のプリンシパル・ダンサー 内面からの美

神韻のプリンシパル・ダンサー 内面からの美

神韻のプリンシパル・ダンサー、呉凱迪(カイディ・ウー)(Larry Dai/Epoch Times)

2022/08/15

呉凱迪(カイディ・ウー)さんの声は春風のように優しく、ゆったりとしている。品位ある静かな振る舞いは、心の内から生まれてくるようだ。

呉さんが神韻芸術団の舞台を目にしたのは、中国からカナダのトロントに移住してからのことだという。感動に包まれる観客のひとりだった彼女は、「ああ、この人たちのようになりたい!」と願った。

今はその夢の最中にいる。神韻芸術団のプリンシパル・ダンサーとなり、初めて神韻を見たときに魅了された「美」を舞台から送り届けるアーティストになった。

神韻ダンサーの内なる美

新唐人テレビ(NTDTV)主催の中国古典舞踊国際コンクール(2012年)に、呉さんは出場した。黄色と青を基調とした、ゆったりとした白いドレスに身を包んだ。桃色の絹布をなびかせ、まるで雲に運ばれているかように舞台を横切る。瞳は輝き、口元にはほほえみ。彼女が自ら振り付けた作品に浸っていると、観客はターコイズブルーの湖の波紋が見え、爽やかな朝の風が感じられ、人里離れた谷でツバメがさえずりが聞こえてくるようだ。

このような美しさを、ダンサーはどう表現するのだろうか。

「美しさは、自分の内面が自然と映し出されることによって表現されるべきです」と呉さんは言う。外見的な美しさではないと言うのだ。だからこそ中国古典舞踊は、優しく、高潔な人格の形成と切り離すことができない。

2019年9月の中国古典舞踊国際コンクールでは、王宝川という役を選んだ。王宝川は貴族の家柄で、平民の雪蓮貴と恋に落ちる。彼は優しくて優れた人格者だったが、結婚後に唐の将軍に出世し、長い間戦場に赴いて家を離れた。粗末な洞窟住居に一人で住んでいた王宝川は、様々な苦難を乗り越えなければならなかった。しかし恐れることなく、ただひたすら待ち続けたのだと言う。そして18年後、戦場から凱旋した最愛の夫との再会を果たす。王宝川には、忠誠心や忍耐力、無私の精神が宿っていると呉さんは讃える。

神韻芸術団の一員として、呉さんは中国の伝統舞踊を復活させるだけでなく、古人の価値観も伝えている。当時の中国女性の典型は、洗練された優雅さと美徳であったが、それは現代の潮流に押し流されてしまった。

静かな想い

呉さんが中国古典舞踊を学ぶ上で最も苦労したのは、肉体的なことではなく、精神的な面だったと言う。あるとき先生から、「あなたはダンサーとして安定感がない。まるで表面的に息を止めているかのようだ」と指摘された。風に吹かれて漂う葉のようだと。「すぐに緊張してしまっていたのです」と言う。

やがて、呉さんにも問題の原因がわかってきた。「他人からどう見られるかが気になったのです。自分のことを考えたら、もっと緊張してしまうんです」。彼女は心を落ち着かせ、気を散らす不安を払拭する術を身につける必要があった。

例えば呉さんにとって、ハンカチーフダンスはいつも難しいものだった。最大の見せ場は、ダンサーがハンカチーフを空中で回転させて前方に投げ、それが地に落ちる前にキャッチすることだ。うまくキャッチできなかったらどうしよう…。「演技のとき、自分のことを考えるべきではありません。ただひたすら自分のやるべきことを考えるのです」

(大紀元エポックタイムズより転載)