胡俊雄氏 信念貫き語る「六四の銃声が私の人生を変えた」

三十年以上前、六四天安門事件の虐殺は世界を震撼させると同時に、胡俊雄さんの人生を大きく変えました。あの夜に響いた銃声は、彼の中国共産党(中共)に対する最後の幻想を打ち砕き、それ以来、反中共の道を歩み始めました。胡俊雄さんは投獄や亡命を経て、最終的にカナダで自由を手に入れましたが、初心を変えることなく、民主のために声を上げ続け、中共の残虐な本質を暴露し続けています。

中共から逃れた胡俊雄さんは、多くの苦難を乗り越えてきましたが、常に希望を持ち続け、民主主義の信念を守り、中共の暴政と闘う決意を貫いてきました。

六四事件の経験者 胡俊雄さん
「私はカナダという自由の土地に来て、カナダの人々、カナダ政府にとても感謝しています。本当にうれしく思い、感謝しています。今は本当のことを言えるようになりました。私は民主主義と自由の理念を堅持し、機会がある限り、必ずメディアや自分自身、インターネットで文章を書く方法を通じて、中国の民主のために努力していきます」

彼は、30年以上前に自ら体験した六四天安門の大虐殺について、今でも鮮明に目に浮かぶと語ります。

胡俊雄さん
「北京の長安街の入り口に着いた時、軍用車両や戦車、装甲車が並び、上には機関銃が据え付けられていました。木樨地から長安街の方向に向かって、進んでいきました。人々は『ファシスト』と叫び、バスなどを使って、バリケードを作り、何層にも重ねたが、それでもすべて戦車に突破され、後ろにいたすべての軍用車両が一列になって突入してきました。それから弾丸の嵐が襲ってきて、道の両側にいた人たちがみな倒れました。私はこの状況を見て、慌てて引き返して走りました」

彼は「六四の銃声が私の人生を変えました」と語ります。

胡俊雄さん
「六四は私の人生の大きな節目であり、重要な経験となりました。あの瞬間から、私は『中共にはもう中国人民を統治する資格がない』と感じました。なぜなら、彼らが向き合っているのは自らの国民であり、人民であるにもかかわらず、あのような扱いをしたからです」

胡俊雄さん
「私は心の底から絶望しました。どんな理由があっても、こんな政権のために一生を捧げることはできません。私はこの政権の一部だったことを、とても恥ずかしく思っています。その後しばらくして、湖北省の文芸界の有名な2人が脱党を宣言しましたが、私は大いに励まされ、自分も脱党したいと思うようになりました」

1998年、胡俊雄さんは中国民主党の黄岡支部の立ち上げに参加し、そのために中共から監視されました。公職を剥奪され、家宅捜索、軟禁、さらに不法拘禁や拷問まで受けました。

胡俊雄さん
「あれは11月1日、冬でした。牢に入るとき、まず全ての服を脱がされ、その上から冷たい水をかけられました。その後、『虎の椅子』に縛り付けられ、十数時間も身動きできない状態にされました」

2015年、胡俊雄さんは命がけでタイへ密航し、「六四記念館」を設立して百枚を超える天安門事件虐殺の写真を展示し、数万人が訪れました。しかしタイでも中共の迫害から逃れることはできませんでした。

胡俊雄さん
「彼らはいろいろな方法で私を迫害し、さらにはタイの入国管理局と結託して私の元に常に検査に来ました。私の住まいを取り囲んだことすらあり、本当に脅迫でした。2024年の六四天安門事件35周年の際には、カナダや米国の世界各地で民主運動が行われました。私たちもタイで古くからの民主活動家であり、民主運動を行うべきでしたが、中共はそれを監視し、認めないと言うのです」

今年5月末、胡俊雄さんはトロント支連会の支援でカナダに救出され、六四天安門事件の36周年集会では大声で真実を語りました。

胡俊雄さん
「私は六四天安門事件の実際の参加者であり証人です。今は自由に話せるようになり、もう何も恐れるものはありません。私は中国の民主のために呼びかけ続けています。一度も後悔したことはありません。これが私たちの理念であり、中国の民主主義のためにもっと声を上げ、呼びかけていきたいと思います。自らの理念のために奮闘できれば、この人生はそれで良かったと感じています」

胡俊雄さん
「共産党について、私がまとめているのは、人類史上最も邪悪で、最も残忍で、最も理不尽な組織だということです。大多数の庶民は異常な苦しみの中で暮らし、まるで奴隷のようです。しかし私たち中国は、遅かれ早かれ必ず変わるはずです」

胡俊雄さんはすでに脱党を公表し、全ての中国人に中共からの脱却を呼びかけています。

胡俊雄さん
「私は公然と脱党を表明します。みなさんも勇気を出して立ち上がってください。立ち上がる人が増えれば増えるほど、共産党という邪悪な組織はますます恐れるのです」

 
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