2025年7月末、香港当局は「国家安全維持法」に基づき、海外在住の19人の香港民主活動家に対して指名手配を行い、最大100万香港ドルの懸賞金を設定しました。その中には香港議会議長姜嘉偉氏も含まれています。これは、香港当局による過去最大規模の海外追跡とされ、中共による越境弾圧が一段と強化されたことを示しています。
香港議会議長 姜嘉偉氏
「香港共産政権は、まっさきに私を懸賞付きの指名手配の対象とし、さらに自首を促してきました。彼らの狙いは私を脅迫することであり、私本人に手を出せなければ家族を標的にします。こうした手法は、香港の人だけでなく、法輪功や中共に反対する多くの人々にも使われてきました。当然、私は一定の脅威を感じていますが、それが私の活動を阻むことはありません。むしろ、国際社会からの支援と反応に勇気づけられています」
中共の越境弾圧や懸賞付き指名手配にも、姜嘉偉氏は一切退く姿勢を見せませんでした。
姜嘉偉氏
「私はこれまで数々の困難を乗り越えてきました。香港の反送中運動では9回逮捕され、2度投獄されましたが、一度も諦めませんでした。台湾では刃物で刺され瀕死の重傷を負ったこともありますが、それでも闘い続ける決意に揺るぎはありません。白色テロが及ぼうとも、私はここで立ち止まるつもりはありません。懸賞金をかけられ、刺され、逮捕され、投獄されても、恐れる理由はありません。これこそが革命の一部だと信じており、これからもこの信念を貫いていきます」
もともと、教育事業やコミュニティサービスで成功を収めていた姜嘉偉氏は、2019年、香港の反送中運動を目の当たりにし、社会の大きな変化を強く感じて街頭に立つ道を選びました。
姜嘉偉氏
「当初は反射ベストを着用していましたが、その後、身の安全を考え防弾チョッキに着替えました。最初は無事に帰宅できたが、後になって、遺書を書くに至りました。当時、不可解な自殺や急増する水死体、行方不明になる若者が後を絶たず、家族とも連絡がつかなくなる事態が頻発しました。これらはすべて中共による社会運動への白色テロの一環です。今出て行かなければ明日はもう外に出られない、と強い危機感を抱き、街頭に立つことが自身の責任だと感じていました」
デモの最中、姜嘉偉氏は催涙ガスに苦しむ若者に自らのガスマスクを渡したことをきっかけに、「思いやりは学校や教会の中だけにとどまるべきではない」と気付きました。
姜嘉偉氏
「路上では求められる支援に即座に応じ、負傷者がいれば応急処置も行いました。記者が不足していたため自らメディアを立ち上げ、現場で起きている事実を記録しました。カメラが必要不可欠な状況でした。どの通りでも何かが起きていて、警官たちは暴力的で、カメラがないとやりたい放題なのです。
私たちは人間扱いされていません。中共政権は、平和的なデモを訴える市民に対し、過剰な暴力で抑圧し続けています。私はこの政府、この政権に深く失望しています」
反送中運動において、姜嘉偉氏は9回逮捕され2度投獄されています。初めて逮捕されたのは、2020年5月10日、自身の誕生日でした。その日は「ブラック・マザーズデー」と呼ばれ、旺角地区で警察と市民の間に深刻な衝突が生じ、230人以上が逮捕されました。姜嘉偉氏自身もこの日の記憶が、今も心に深く刻まれていると言います。
姜嘉偉氏
「当時私は救急隊員として、封鎖線内で負傷者の救護活動を行っていました。そのとき所持していた救急資材を初めて使い切りました。突然、香港警察の一人が駆け寄り、懐中電灯で私を照らし、『お前を知っている、逮捕だ、座れ』」と言われました。
彼らは私たち市民を国民と見なしていません。都合が悪ければ撃たれ、逮捕されます。これは私が逮捕後に受けたビデオインタビューであり、中共が民主活動家を違法かつ不当な手段で逮捕している証拠です」
2023年10月、姜嘉偉氏は故郷の香港を離れ、台湾へと渡りました。その後すぐに香港議会への立候補を表明し、闘いを続けました。しかし、1か月足らずで刃物による襲撃を受け、生死の淵をさまよいました。
姜嘉偉氏
「本当に痛かったです。大量の出血で、死を覚悟するほどでした」
救急措置と治療の末、姜嘉偉氏は奇跡的に一命を取り留めました。以降も政治的信念を貫き、一切ひるむことなく圧力や恐怖に屈することはありませんでした。果たして彼は、いかにして恐怖を乗り越え、闘い続けてきたのでしょうか。
