強制臓器摘出手術の権威の99歳医師が病死 中共メディア「彼は優秀党員」【禁聞】

5月22日、中共は「中国肝・胆道外科の父」と呼ばれた医師の呉孟超(ご・もうちょう)が病死したと発表しました。呉孟超は生前に江沢民と密接な関係があり、生きた人間からの強制臓器摘出に積極的に関与したことで、追査国際の追跡調査リストに挙げられていました。

5月22日、中共メディアは呉孟超が99歳で病気により上海で死亡したと報じました。メディアは呉孟超を中共の「優秀党員」と称えたほか、中国の「肝臓外科の開拓者であり主な創始者」とも伝えました。

データによると、呉孟超は福建省閩清県(びんせいけん)出身の帰国華僑で、肝・胆道外科の専門家でした。呉孟超はかつて第二軍医大学(今の海軍軍医大学)の副校長を務めたほか、第二軍医大学第三付属医院東方肝臓・胆のう外科医院と東方肝臓・胆のう外科研究所を創設し、主任院長と所長に就任しました。

2019年1月14日に当時97歳だった呉孟超は引退を宣言し、メディアから「大国医」と大いに持ち上げられました。

しかし、大量の情報と外部調査によって、中共の前党首の江沢民が1999年に法輪功学習者への迫害を始めると呉孟超はこれに積極的に追随し、法輪功学習者からの臓器狩りに深く関わっていたことが明らかになったため、呉孟超は海外組織の「法輪功迫害の責任を追及する国際組織(追査国際)」から責任を問われています。

追査国際の代表 汪志遠氏
「彼が最初に先頭に立って(強制臓器摘出を)行った。特に肝臓と胆のうの分野で彼は非常にたくさん手掛けた。2015年ごろにすでに数千例(肝・胆道移植手術)を行ったと報じられていた」

追査国際の汪志遠氏は、呉孟超は自分がこのジェノサイドに積極的に関与しただけでなく、軍や地方の病院にも広めたと指摘しています。

汪志遠氏
「彼が犯した罪はあまりにも多く、両手は法輪功学習者の血で染まっている。近い将来、人類の歴史が大審判を受ける時に、呉孟超は間違いなく最も大きな罪を犯したものとして名前が挙がるだろう。彼は死んだが彼の罪は消えない。その罪は間違いなく清算されるだろう」

江沢民は呉孟超と4回顔を合わせて、中央軍事委員会が特別に開催した学会で呉孟超に「模範医学専門家」の称号と「一級英雄と模範的人物(一級英模)」の勲章を与えるよう、自ら署名を行って命じました。

2018年に当時96歳だった呉孟超は、毎週少なくとも3件の手術を行っていると明かしています。

米国在住の時事評論家、鄭浩昌氏
「彼は強制臓器摘出という恐ろしいものに関わっても、疲れも知らずに嬉々として手術を行っていた。この殺人行為は普通の人なら一回やっただけで恐ろしくて精神が崩壊するはずだが、なぜ彼は平気なのだろうか。90歳を過ぎてもまだ肝臓移植手術を行っており、しかも一週間に3回もだ。私たちは手術が非常に体力を消耗することを知っており、執刀医が疲れて体を壊したという報道を頻繁に見かける。つまり呉の体力は普通の人とは違っているのだ」

時事評論家の川人氏はかつてエポックタイムズに、「呉孟超は間違いなく党の支持に従って、中共が好まない人間の臓器を強制摘出していた。医学倫理や道徳心など持ち合わせておらず、そもそも医者ではなく殺人鬼、『大魔医』と呼ばれるべきだ」と寄稿しています。

鄭浩昌氏
「呉孟超には体力的にも精神的にも、普通の人とまったく異なる受容力が備わっている。もし彼がよいことを行っていたら賢医と呼ばれていただろう。だが彼がやったことは永遠に償うことのできない大悪事だ。当然『大魔医』という帽子が彼にはよく似合うだろう」

2000年以降、中国臓器移植産業は爆発的に成長しています。中共は臓器のほとんどのドナーは死刑囚だと述べていましたが、その後に自発的に提供されたものだと発言を変えました。しかし、中国の年間死刑執行数は数千人にとどまっているうえ、減少傾向にあります。また、中国人は伝統的に「遺体を傷つけない」ことを重んじているため、臓器提供は非常にまれです。

追査国際はインターネットのアーカイブや医学雑誌などの大量の関連データを調査したほか、電話調査も行って内部関係者の証言を大量に集め、臓器の提供元は中共が必要に応じて殺した良心の囚人であり、主に法輪功学習者とウイグル人、チベット人、家庭教会のメンバーなどだと公表しました。この驚くべき残虐行為は今も続いています。

汪志遠氏
「これらの関与者は、最高責任者であろうが末端の医師であろうが、すべて法的責任や道義的責任を負って審判を受けることになる。現在の唯一の道は、できるだけ早く追査国際に通報して内情を暴露し、その功績を挙げて罪を償うことだ。これが唯一残された道だ。そうしなければ彼らの目の前にあるのは死に向かう一本の道だ」

2016年に中国の芸能界の裏話暴露で有名な「長春国貿」さんは、呉孟超の94歳の誕生日に江沢民の愛人で軍の歌手である宋祖英(そう・そえい)が会場に駆けつけ、祝辞を述べて歌を歌ったときの写真を公開しています。

 
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